2024年4月24日水曜日

マリー母とのおしゃべり

2週間前にコロラドに来た。

まだ山には雪が残っている


その2日後マリー母(5泊)と、マリー姉家族(2泊)到着。


そして先週マリー母はサンノゼに帰って行った。

庭中を駆け回るうさぎにも、赤ちゃんが増えてきた


5日間朝起きてから寝るまで、私はマリー母とおしゃべりし続けた。


9時になるとモールに歩きに行き、二人でモール内を3周し、その後カフェでお茶を飲みながらおしゃべり。

いつものNordstromカフェ(今は毎朝出勤)


帰宅して、また寝るまでおしゃべり。

右は私の孫#2、左はマリー母孫#3、全員男の子


というまるでハネムーンのような1週間を過ごしたので、ものすごく親密な関係になった。


以前から仲良く話す関係ではあったが、この1週間でより関係が深まったと感じる。


彼女自身40代後半の時ビジネスを始めたので、次男の仕事の良き理解者でもある。

コロラドは3月4月5月とも雪の日がある

毎日のように兎の赤ちゃんが生まれ、庭に出てくるようになる

さて、マリー母は病院の手術室で40年働いたあと、1年前にリタイアした。


そこで起きた色々な奇想天外な話をしてくれる。


突然何をやらかすかわからない人たち。


特に男性。


が、彼らのプライバシーは配偶者からも守られているので、奥さんたちに詳細は伝えられない。


(こうして、部外者には伝えられるわけだが・・・)


男孫2人を見ていると、それは容易に想像できる

2024年4月11日木曜日

テレビ沼にはまり込む

元々アメリカでは、テレビ番組に興味がなかった。


日本に行けば、主にBSプレミアムにおもしろい番組が多いので見る。


が、アメリカではテレビは契約すらしていない。


ところが、息子が契約していて、そのおこぼれで私も使えるNetflix(通称ネトフリ?)で「カルテット」を見て以来、ネトフリ沼にはまってしまった。


カルテットロスに陥ったあと、しばらく何も見ていなかった。


が、友人から「不適切にもほどがある」という番組がおもしろいと聞き、現在放映中第5話まではあっという間に見終えた。


残りがアップされるのを待っている間に、danmamaさんオススメの「タイガー&ドラゴン」沼にどっぷりハマる。


これを全て見終わってしまったら、もうあとは何も見たいものがないかも、と思っていた。



そこにヤフーニュースの、「舞妓さんちのまかないさん」に関する記事が目に入る。


この「舞妓さんちのまかないさん」は人気番組らしい。


番組を見た外国人観光客が、祇園の私道に入ってしまうことが問題になっている、と聞いて見たくなった。


そういえばこの番組は世界的に人気らしく、オススメとしてネトフリのホーム画面に必ず出てくる。


その合間に、「さぼリーマン、甘太郎」を発見。


これは番組自体のストーリーよりも、見慣れた東京の街角を見るのが嬉しくて、これも全話視聴。


今月は飛行機に3度乗るのだが、どのフライトも機内でのエンターテイメントサービスがなく、映画が見られない。


なので、舞妓さんとタイガーはダウンロードしておいて、iPadで見ながら昨日コロラドに飛んで来た。


ということで、またまたブログが滞っていますが、すんまへんなあ。


テレビがついていると、皆が大人しくなる。


この人らも


この猫も

2024年3月31日日曜日

京都に自分の墓を買った 2/2

5月に京都に行く。


多分いつものように、奈良に一度、大原に一度、南禅寺に一度は行くだろう。


そして、今回は今まで一度も行ったことのない建仁寺に行くつもりだった。


祇園にある建仁寺。


風神雷神図屏風が有名なこのお寺には、何故か足を運ぼうと思ったことがなかった。

こちらは天井の双龍図(建仁寺インスタグラムからお借りしました)


が、5月には行くぞ、と決めていた。


下の写真は、どれも建仁寺のインスタグラムからお借りしたものだが、ストイックな雰囲気が伝わってくる写真が多い。



イヤ〜、このインスタ写真にしびれてしまった


姉からLINEが来たのは、その建仁寺にある両足院からだった。


実家から比較的近い場所にも樹木葬をしてくれる霊園はある。


樹木葬をするお寺の中には、有名な所も含まれる。


東福寺もその一つ。


紅葉で有名な東福寺は美しいし、何度も行った。


東福寺の方が建仁寺よりも、樹木葬は安い。


が、紅葉の時は決死の覚悟で行かねばならない。


姉が、以前「圧死するかと思った」と言うほど、紅葉のシーズンはとんでもない数の観光客が押し寄せる。


ストイックな私には、この「押し寄せる現象」は合わない。


また、私は京都に行くと姉のマンションかホテルに泊まる。


両方とも、烏丸御池駅に近い。


建仁寺はそのどちらからも歩いて行ける。


立地的に京都の繁華街に近いが、静かなところでもある、というところが人気のようだ。


私も姉も自分が納骨されるまでは、樹木の下に眠っている両親に、座ったベンチから話しかけるだけだ。


建仁寺両足院は一般に非公開で、樹木葬は1人70万円、2人だと90万円。


この私も姉も気に入った大木の下にある両親が入るエリアには、隣にもう一つ「空室」がある(新しいエリアは順次公開される)。


このエリアの隣同士のスポットはここが最後。


姉がそこ、つまり両親の隣に一人で入るなら、70万円。


姉は自分が死んだあとのことを算段しておかなければ、と思い、両親の隣に樹木葬されることを望み、そこを買うことにした。


ちょっと待って、姉が買うなら、そこに私も一緒に入ることにしておくのはどうだろう。


20万円足せば私も入れるなら、と私は一瞬で決断した。


小さな「墓」に埋葬されるのだが、両親2人で90万円、納骨料一人3万円、33年後合同墓地に移るまでは年間管理費が一人5千円。


つまり、とりあえず初期費用は両親、姉、私の4人で90x2+3x4=192万円。


これで4人分の樹木葬スポットを確保。


合同墓地に移されるのは、4人のうち最後の一人が納骨された33年後。


私がここに入るのはやめた、といずれ思ったとしても損失は23万円+管理費。



お墓は全くいらない、とかねてより言っていた夫に報告したら、カードのポイントにしか興味のない夫は「カード使える?」とそれだけ。(もちろん使えんが)


よし、決まり。


ストイックな私は息子たちに、これだけを言い遺しておこう。


母ちゃんに会いに来る時は、祇園丹波屋のおはぎ持ってきてや〜

2024年3月29日金曜日

京都に自分の墓を買った 1/2

姉からLINEメッセージが来た。


「今◯◯◯。(◯部分は次回ブログに書きます)


ここに両親のお墓を買おうかな、どう思う?」



母が死んで14年、父、8年。


粉骨にしてもらったあと、実家に置き朝晩両親に挨拶してお供えをしていた。


まごころ粉骨さんのすばらしい対応に感謝


この中に両親は入っている


そろそろ自分がいつ死ぬかわからない年齢になったのだから、息子たちに祖父母の遺灰を遺しても困るだろう。


お墓の用意をすることにした。


京都府で樹木葬をしてくれるところはこのサイトによれば31ヶ所ある。


私達は京都市内に限って探し、最終的にはある場所に決めた。


両親の遺灰を埋葬する場所、その隣にもう一つ空きがある。


隣同士の場所はここが最後。


それぞれ1人か2人ずつで入れる。


その場合金額は違うが、そう大した差ではない。

日本で両親と姉と4人家族としての墓も良いか


不思議だ。


私は5月に京都に滞在する時、まだ行ったことのないここに行ってみようと思っていたのだ。


両親が導いていたのかもしれない。


あんたらも、もうええ加減トシやで、早うお墓を考えたら?


いや、両親は、自分たちの墓はいらない、ゴールデンゲートブリッジの下にでも散骨してくれればいい、そう言っていた。


ゴールデンゲートブリッジじゃなくてもどこでてもいい、死んだあとのことなんか気にしない、と。

昭和61年、1日中編み物をしていた母と、
インテリアデザインを考えるのが大好きだったた父


今や姉や私も墓のことを考える年齢になってしまった。


私の遺灰は、半分はアメリカに遺してもいいし、それについては家族が決めてくれればいい(夫は墓は一切いらない、と言っている)。



姉は、両親の遺灰を収める場所の隣に、自分のも買うことにした。


4人のうちの最後の一人がそこに入る33年後に、4人は敷地内の合同墓地に移る。


樹木葬、望むところだ。


墓は自分のためのものではなく、残された家族のものだ。


息子たちがいつか、私と話したいと思った時、何らかの「親がいる場所」があるのもいいかもしれない。


墓じまいはさせたくないし、私も自分の墓は要らないと思っていたが、銀杏の木の下の、墓石もない墓ぐらいならいいだろう。


アメリカのお墓は高価すぎる、だから、「遺灰をその辺に置いてたら、どこかに行ってしもた〜」と息子が言っている姿が目に見えるほど、彼らはあてにならない。


そのうち、灰に猫がオシッコを引っ掛けるかもしれない。


とりあえず京都に一つ、私が土に還る場所をゲットしておこうではないか。

2024年3月25日月曜日

予期せぬ出来事

日本から帰国して、あっという間に1ヶ月がたった。


2月22日に帰国、28日にコロラドに飛び、3月16日にサンノゼに帰った。

なにしろデカいデンバー空港、右を見ると3機飛んでいた
(右端のは小さ過ぎて見えないかも)


コブ付きである。


孫1のヒロを夫と供にサンノゼに連れてきた。



毎月のように飛行機に乗るヒロを、デンバー空港のセキュリティで一瞬見失った。


私と夫がセキュリティチェックのために、検査された荷物をコンベヤーベルトの前で待っていると、横にヒロがいない。


水筒に入ったお水を、セキュリティエリア入ったところの、水廃棄場で悠々と捨てているところだった。


6歳にもなれば、こういうこともできるようになるのか。

飛行機の中では、ゲームをして2時間半があっという間に過ぎる


1週間の滞在中、長男とサキのアパートに連れて行った。


公園で叔父叔母と遊んで満足した毎日を過ごし、親を恋しがるわけでもない。

彼らは本当に甥をかわいがる


サキ母であるMよさんの家にも連れて行き、皆でアイスクリームを食べに行ったり、と雪が残るコロラドから、暖かいサンノゼを満喫したようだ。

Mよさんの住む街にあるおしゃれなダウンタウン


次男がヒロを迎えに来て、昨日二人は帰って行った。


12月21日に日本から帰国

1月7日から21日までコロラド

1月25日から2月22日まで日本

2月28日から3月16日までコロラド

4月はまたコロラドに2週間

その後サンノゼに帰った3日後から日本


と、バタバタと忙しい半年だが、やっと次男一家もコロラドに落ち着いた。


マリーは来週から新しい仕事、孫たちももう6歳半と3歳半。


ヨシ、日本にもこれからはもっと長く滞在し、老後住む地域を開拓するか。


東京の路線図をまたまた見ながら夢想している私のところに、写真付きのメッセージが届いた。


オーマイガッ😱

2024年3月17日日曜日

ドカ雪と愛読書・・・?

コロラドの良いところは、雪が降っても翌日には晴れて溶ける、ということらしい。


確かに年間300日以上晴天の州らしいが、それでもやはりカリフォルニアがいいと感じる。

昨日から8日間の気温


住み慣れた場所がいいのは誰でもそうだ。


水曜日の夜ドカ雪が降り、木金と学校は休校になった。


ここまでの雪は4年ぶりということ(なぜ今?)。


木の枝が何本か折れていた

孫たちは雪だるまを作ったりして大喜びだが、一日おきぐらいの頻度でモールに行き、コーヒーを飲み運動のために歩こうと思っていた私はガックリ。


金曜日の今日、もう雪はかなり溶け始めたが、私には運転はとても無理だ。


夫の幼馴染スティーブがミシガンから来ているので、一緒に朝ご飯を食べに行こうということになった。

車窓から見る景色は、まるで飛行機から見る雲海のよう


スティーブは白人、レストラン客も私と夫以外は全て白人。


ホットケーキと目玉焼きは美味しかったが、コーヒーは驚くほどまずかった。

この朝食は3人分でチップ込み63ドル、9000円ちょっと


スティーブによると、彼が住んでいる地域は日本車を買うのがはばかられるところだが、次の車は絶対日本車がほしい、ということ。


コロラドはミシガン州に比べると、もっともっとブルー(民主党)よりの州である。


が、近所にアジア系の人は殆ど住んでいない。


まるで1985年に、私達がサンノゼに家を買った時のようだ。


当時、引っ越しのあとレストランに友人たち(全員白人)と行ったら、白人以外の人種は私と夫だけだった。


今後、カリフォルニアからまだまだ不動産の値段がリーズナブルなコロラドに移住する人は、増える一方だと思う。

今朝は青空が広がり、道には雪がなくなった


だが、私は日本からもっと遠いコロラドに住むことはないだろう。


カリフォルニアか日本か。


今はまだ決められない。


日本だとしたら、どこに住むのが一番いいのだろうか。


友人が横浜近郊でマンションを探しているが、その報告を聞くのが楽しみになっている。


Aマンションは、I駅から歩いて4分だが、駅からマンションまでの道にパチンコ屋が3軒。


元町に近いマンションは、ワンルームで6300万円、窓からの景色は高速道路。



私も東京か東京近郊に、いつかマンションを買うか借りるかできるのだろうか。


と思いながら、雪道を運転する自信もなく、乾燥しきったコロラドの次男の家で、あてがわれた自室に籠もっている。

次男の家で使っている部屋では、机の前でいつも夢想している


そして、愛読書を見ながら東京に住む自分を想像する。



いや、愛読書ではないな。

愛読図

2024年3月14日木曜日

アメリカにはあるが、日本にはないもの

今日もモールに来た。


高速道路を使わず来ることができるので、運動のためにモール内を歩く。


ここ数年、何かを買いたい!という購買欲がほとんどない。


なので、ショッピングはせず、Nordstromというデパートの前にあるカフェに座って、ブログを書いている。

何時間でもいられる空間が良い
右側にあるのは暖炉


これが習慣になり、ブログをもっと頻繁に更新するモチベをあげようとしているとも言える。


1時間ほど座ってコーヒーを飲んだあとは、モールを2周するが、小さなモールなので歩数はあまり稼げない。


が、昨日はモール2周、Costcoで買い物、夕方裏庭落ち葉かき、とよく動いたので1万歩超えた。

久しぶりの1万歩


思えば、日本にいる時は、ほぼ毎日1万歩を超えるような生活をしていたのだが、2月の東京ではそれができなかった。


なにしろコロナ感染したあとの3日間は沈没。

東京にいる間大好きな銀座ライオンには行ったが、
ここで感染したわけではない


コロナに感染したらすぐ飲みなさい、とかかりつけ医からあらかじめパキロビッドを処方してもらい、日本に持参していたのですぐ飲み始めた。


それでも、今回のコロナの症状は頭痛と倦怠感がひどかった。


2月15日に帰国する予定だったが、急遽帰りを1週間延期。


折しも、日本は受験シーズン。


ギリギリではいつも泊まる比較的安いビジネスホテルが取れない、取れるところは高い。


やっと取れたホテルは、外国人観光客らしき人々がロビーのソファで寝転んでいて、私が座るところもない!


具合が悪いので、少し早くチェックインさせてくだせえ、と頼むと30分早く部屋に入らせてくれた。


が、それでも1泊23500円に心は折れたまま。


地上21階で景色を楽しんでください、という謳い文句だったが、景色なんか楽しんでいられない状態。

できれば3階より上には泊まりたくない


しかし、具合は悪いが薬も飲まないといけないし、一応お腹にも何か入れたい。


食べ物を買いに出かけて帰って来るとフラフラで、やっと21階まで戻った時には、ベッドにひっくり返るだけ。


そうしながらも、このホテルをチェックアウトしたら、次のホテルを探さなければならない。


やはり東京に小さなアパートを持っていればなあ、と改めて思った。


東京(日本)に必要なものはもう2つある。


アメリカにはここまで必要?と思うほどあるのに、日本にはあまりないもの。




ショッピングセンターの椅子
ゴミ箱